銀座に都電があったころ



「銀座に都電があったころ」なんてタイトルを見ると、まるで銀座の都電を撮りまくっていたようですが、
実は銀座どころか、都電の写真というものをほとんど撮っていないのが正直なところです。
ずいぶんと重宝に使っていた割に写真がないのは、それだけ当たり前の存在だったということかも知れ
ません。
記憶では、最初に廃止されたのがこの銀座の都電で、それから5年ほどの間に、荒川線を除いた都電
が次々と廃止されて行きました。都電を廃止することを印象づけるために最初に銀座を廃止したという
ような話を聞いたこともあります。
1967年(昭和42年)、街にジングルベルのメロディが流れ始めた12月9日。記憶が曖昧なのですが、
土曜日で、当時中学生だった私は、学校が終わってから愛用のハーフ版オリンパスペン片手に銀座へ
飛んでいったのだと思います。



銀座のシンボルと言えばやはりコレ。服部時計店、三愛、三越、そして銀座の柳。
このとき三越は改装工事中でしたが、「ご苦労さまでした都電銀座線」の横断幕が掲げら
れていました。



ライオンビアホールの前で車の流れにもまれるような都電1系統。銀座中央通はこのころ
からかなりの交通量。



左の22系統は南千住行き、右の1系統は品川行きです。



4系統は少し小型の1000形や1100形が走っていました。



銀座とはいえ、この頃はまだ低い建物も多かったようです。日もだいぶん西へ傾きました。
中学生だった私はそろそろ帰り支度をしなければなりません。



夕日を浴びながら、お別れの横断幕とモールで飾られた、40系統上野神明町車庫行きの
電車がやってきました。あらためて見ると、銀座4丁目交差点は警官が手信号で交通整理
をしているようです。



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