思い出の布原

D51 3重連であまりにも有名だった布原信号所。私が訪れたのは2回だけ。最初は1969年(昭
和44年)の1月、高校1年のときです。このときは呉線を撮ったあと、夜行の「ちどり」で米子へ。
伯備線始発のDCは暖房が効かず、ふるえながら乗っていました。高校1年生の無鉄砲さで、
「時間があるから歩くかー」と、ノーてんきに備中神代から凍りついた道をテクテク。しかし正月明
け早々だったせいか、残念ながらこの日は重連。
リベンジーは同じ年の12月、当然ながら高校2年生。やっと念願の3重連にめぐり合えました。
このころはまだ橋を渡ったトンネルのまわりはただの山の斜面。みんな好き好きに木立の間や
河原から写真を撮っていました。このあと、お立ち台ができて金をとるようになったと聞き、妙な
正義感に燃えていた高校生は、なんとなく嫌気がさして、布原から足が遠のいてしまいました。

重連の2492レがトンネルへ向け猛ダッシュ。布原は山に囲まれた谷あいの地。冬の低い太陽
は、やっと後ろの山に差し込みはじめたばかりです。本来ならば煙は3本上がっていたはずだっ
たのですが・・・                                         1969年1月

やっと撮影できたD51 3重連。有名な場所ですが、3重連をキッチリ入れるのは意外と難しい
ものでした。12月も終わりに近づいたころの朝9時ごろ。山影になるこの場所では、光がまだ
届ききりません。トンネルに向かって猛ダッシュしてくる3重連を撮るには、当時使っていたネ
オパンSSでは露出にかなりきびしいものがありました。 結局3重連はこの1枚きりです。
                                                1969年12月

後ろの山々には日が当たっています。でも鉄橋はまだ暗いまま。 そんな中、白煙モコモコ、ドレ
ンで後ろの編成が見えない列車が・・・ いえいえこれ実はD51単機です。乗務員さんの大サー
ビス?                                             1969年12月 

布原信号所に到着したセキ。布原信号所はこんな場所にありました。        1969年1月

布原から備中神代方面へ向かうD51が引く客車。10時半近くのこの時間、やっと田んぼの一角
に日が当たりはじめました。                                  1969年1月

11時ごろになり、備中神代寄りではさすがに日は当たっています。しかし今度は山肌を吹き降ろ
す風で、煙が列車に巻きつきます。                              1969年1月

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