あの頃の阪急電車 



あの頃の阪急電車なんて、仰々しいタイトルをつけていますが、確固たる目的意識があって
阪急を撮りに行ったわけではありません。たまたま親戚の家に遊びに行ったときや、SL撮影
行の途中などに、ついでに寄った程度のものです。したがって、撮影場所に偏りがあったり、
中学生のときにハーフ版カメラで撮ったものも多く、本来とても人様の前に出せるような代物
ではないのですが、そのあたりはご容赦願って、あの頃(昭和40年代)の記録程度にご覧下
さい。



いきなりとっても見苦しい写真で失礼します。ハーフ版でしかも脱色してしまったカラーネガ
からの白黒スキャンで最悪の状態ですが、1枚だけあった旧梅田駅です。この頃は行き先
表示板も、梅田−三宮ではなく、大阪−神戸になっています。            1967年



これまたお見苦しくて失礼。今はりっぱな駅ビルに入ってしまった宝塚駅。昔はこんな
のんびりした駅でした。左端は大正生まれ、リベットごつごつの600形。    1967年



600形の一部は更新修理時にリベットを溶接構造に変えました。これはその一族658。   
                              1967年 川西能勢口−雲雀ヶ丘花屋敷



元々は神戸線用だった800形。         1967年 川西能勢口−雲雀ヶ丘花屋敷



900形の増備車920形。             1967年 雲雀ヶ丘花屋敷−川西能勢口



宝塚線用の1100形を3扉化した1150形。   1967年 雲雀ヶ丘花屋敷−川西能勢口 



600形や920形の部品流用した1200形。   1967年 川西能勢口−雲雀ヶ丘花屋敷



オートカーと呼ばれた2000形の宝塚線版2100形。宝塚線用に定格速度を低くとって
あったようです。                   1967年 川西能勢口−雲雀ヶ丘花屋敷



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